佐々木マキのこと。
2009年 01月 18日
●終末から 2
1973年8月号
筑摩書房
●「吉里吉里人ウィキペディア」から
1973年から1974年、『終末から』(筑摩書房)創刊号から第8号に一部が連載された(未完、挿絵 佐々木マキ)。
1978年5月から1980年9月まで『小説新潮』に連載され、1981年に新潮社から単行本として刊行された。
新潮文庫版は上・中・下巻に分かれる。純文学に与えられる読売文学賞とSF作品に与えられる日本SF大賞を受賞した。
「ひょっこりひょうたん島」の脚本家のひとりだってことまで否定するつもりはないけど、ボクが井上ひさしに感じているどうにも鼻持ちならない文化人臭さは、何もいまに始まったことではないのさ。
中学生の頃だったか、井上ひさしの小説処女作「ブンとフン」の文庫本を父親の本棚に見つけた時からそうだった。いまから30年以上も前のことなんだけど。
(同じ作家という立場で、同じく創世記のテレビ文化に関わった関西出身の藤本義一には、この文化人臭がないのは、上方町人文化人としての粋と批評精神(エスプリ)の系譜があるのかも知れないね。)
さて、その井上ひさしの「吉里吉里人」が、今年の初買いで「アニマル洋子」で見つけたこの雑誌に初出掲載されてたのは意外な発見だったな。
分厚な単行本が発行されていた記憶もあるし、この作品が何か大きな賞を取ったような記憶も残っている。「ウィキペディア」で調べれば大抵のことは居ながらにしてわかってしまういまの世の中は、ありがたいことなのだ。
そして、今回もっと意外だったのは、この作品が、佐々木マキのイラスト付きだったってことなんだ。
ページをクリックするともっと大きくなるよ。
単行本化、文庫本化されるにあたって、佐々木マキのイラストのすべてが再録されていれば、ボクのこの小説の印象は、作者である井上ひさしの印象まで含めて大きく変わっていたことは間違いないのさ。
もちろん、カバーから佐々木マキでなければダメに決まってるんだけど。(いまのままのカバーじゃ、決定的かつ致命的にダメだな。)
というよりも、雑誌や新聞に掲載された小説全般が、単行本化・文庫本化されるにあたっては、初出誌に掲載されたすべてのイラストの再録が、カバー・本文ともに行われなければ、ユーザーに充分なサービスが行われたとはいい難いのだな。
ここのところが、長い間、「本は別格」として扱われた出版文化の驕(おご)りなのさね。
客は常にハードルの高い欲求を抱き続けている。一方、サービス業は、このハードルを超えようと必死の企業努力で生き残りを図ろうとしている。そこで働く者の生命と尊厳を踏みにじってまで、鬼のようなユーザー・サービスに徹する「アマゾン・ドットコム」の〝蟹工船〟的な企業姿勢がいいか悪いかは別の議論であるとしてもだ。
ところで、佐々木マキの作品は、60年代後半の「月刊 ガロ」でのまんが作品や、70年代後半になってからは、村上春樹の作品の単行本の表紙などで知っているくらいなので、今回のような埋もれたイラストの発掘がぜひとも必要だと思うな~、ボクは。
それにしても、今回発掘したこのイラストは、すご~くいいな!!
本 秀康の原型のようなテイストなのだ。
結局、「スキモノ」がこつこつと古本屋を巡って渉猟するしかないのか。
1973年8月号
筑摩書房
●「吉里吉里人ウィキペディア」から
1973年から1974年、『終末から』(筑摩書房)創刊号から第8号に一部が連載された(未完、挿絵 佐々木マキ)。
1978年5月から1980年9月まで『小説新潮』に連載され、1981年に新潮社から単行本として刊行された。
新潮文庫版は上・中・下巻に分かれる。純文学に与えられる読売文学賞とSF作品に与えられる日本SF大賞を受賞した。
「ひょっこりひょうたん島」の脚本家のひとりだってことまで否定するつもりはないけど、ボクが井上ひさしに感じているどうにも鼻持ちならない文化人臭さは、何もいまに始まったことではないのさ。
中学生の頃だったか、井上ひさしの小説処女作「ブンとフン」の文庫本を父親の本棚に見つけた時からそうだった。いまから30年以上も前のことなんだけど。
(同じ作家という立場で、同じく創世記のテレビ文化に関わった関西出身の藤本義一には、この文化人臭がないのは、上方町人文化人としての粋と批評精神(エスプリ)の系譜があるのかも知れないね。)
さて、その井上ひさしの「吉里吉里人」が、今年の初買いで「アニマル洋子」で見つけたこの雑誌に初出掲載されてたのは意外な発見だったな。
分厚な単行本が発行されていた記憶もあるし、この作品が何か大きな賞を取ったような記憶も残っている。「ウィキペディア」で調べれば大抵のことは居ながらにしてわかってしまういまの世の中は、ありがたいことなのだ。
そして、今回もっと意外だったのは、この作品が、佐々木マキのイラスト付きだったってことなんだ。
ページをクリックするともっと大きくなるよ。
単行本化、文庫本化されるにあたって、佐々木マキのイラストのすべてが再録されていれば、ボクのこの小説の印象は、作者である井上ひさしの印象まで含めて大きく変わっていたことは間違いないのさ。
もちろん、カバーから佐々木マキでなければダメに決まってるんだけど。(いまのままのカバーじゃ、決定的かつ致命的にダメだな。)
というよりも、雑誌や新聞に掲載された小説全般が、単行本化・文庫本化されるにあたっては、初出誌に掲載されたすべてのイラストの再録が、カバー・本文ともに行われなければ、ユーザーに充分なサービスが行われたとはいい難いのだな。
ここのところが、長い間、「本は別格」として扱われた出版文化の驕(おご)りなのさね。
客は常にハードルの高い欲求を抱き続けている。一方、サービス業は、このハードルを超えようと必死の企業努力で生き残りを図ろうとしている。そこで働く者の生命と尊厳を踏みにじってまで、鬼のようなユーザー・サービスに徹する「アマゾン・ドットコム」の〝蟹工船〟的な企業姿勢がいいか悪いかは別の議論であるとしてもだ。
ところで、佐々木マキの作品は、60年代後半の「月刊 ガロ」でのまんが作品や、70年代後半になってからは、村上春樹の作品の単行本の表紙などで知っているくらいなので、今回のような埋もれたイラストの発掘がぜひとも必要だと思うな~、ボクは。
それにしても、今回発掘したこのイラストは、すご~くいいな!!
本 秀康の原型のようなテイストなのだ。
結局、「スキモノ」がこつこつと古本屋を巡って渉猟するしかないのか。
by misaochan3333 | 2009-01-18 11:27 | 購本記